
コクーン歌舞伎第7段<東海道四谷怪談>を観て来ました。
ちょっと前に空きが出たのかチケットがとれたらしく、いつも歌舞伎に誘ってくれるKEEP LEFTのh部さんから連絡をもらえたのです。歌舞伎といえば…○○!?の中に入るうちの1つと言えるんじゃなかという<四谷怪談>。王道のようなものなのにまだ観たことなく、ずっと観てみたかったのです。
この<四谷怪談>は第一回コクーン歌舞伎で上演されたらしく、今回は以前とは違う試みを…というふうに"北番""南番"という2種類の演出が用意されていました。北が新しい演出、南がオーソドックス、で私たちが観たのは北番でした。
会場に入ったら「んん?」椎名林檎の曲がずーっとかかっています。そういわれてみると、先日TVで対談してたかも。この為だったのかな。
コクーンというだけで若干空気が変わっているのに、ロックなBGMでかなりネオっぽさを醸し出されます。あ、東京事変も。
席について、始る前のお楽しみ、本日出演の役者さんが会場内を所構わずウロウロ徘徊する…をわくわくして待っていましたが、誰1人現れず…!!悲しい。以前観た時は小芝居もあったりして面白かったのになぁ。
しかし座席に演出人のNさん発見。嬉しい。(*なぜ嬉しいかについては説明が長くなりそうなのでまた今度)
さてさて、始りました!
始る前に「今日のはオーソドックスな南だったと思う」と聞いていたのですが、明らかに異様なBGM。いつもの生の音ではなく打ち込みです。違和感があったので北だったと分かりました。
(打ち込みもあるけれど、生の演奏もありました。本来のものを聞いたことないので分からないのですが、やっぱりちょっといつもと違うかんじの楽曲でした。楽器も違うかんじ。ホーメイ?と思ったんだけど笛系のものを持ってるのを見つけ、違うのか、と分かったくらい。なんだったのか?)
勘三郎+コクーンということで、いつも以上にくだけていてセリフもかなり分かりやすい。
でも最初の部分はあまりにも軽いしゃべり口調で、大丈夫か??と客離れをちょっと心配したほどです。
橋之助の伊右衛門はかっこよく(コントラストがあって)、扇雀はひとり5役くらいやって面白く、勘三郎はお岩と直助権兵衛という両極端な役をこなしてすごかったです。お岩さんがあの顔になるシーンはたっぷり時間とっていて、暗いのなんの。直助が出ている場面との差がはっきりしてました。しかしあのネズミが出てくるシーンは、日本人がする私の好きな発想です。面白かった!(いや、怖いシーンなんだけど)
観たいと思っていた幽霊の色々なシーンは、想像よりもずっとリアル(ユーレイ見たことないが?)でなまめかしかった!血のついた着物を入れた洗濯桶からぬるっと手が出てきたり!
そして最後のシーン、火薬の仕掛けをいくつも使って奈落の底へ落ちて行く伊右衛門と直助。すごい表現。これは外国人喜ぶよ。ブラボー!よ。
カーテンコールでは奈落(現実の)の出口が花道の途中にあり、真下の床から勘三郎と橋之助がひょっこり出て来てサプライズ。
最後まで面白かったです。
今度はオーソドックスなのも見てみたいなぁ。

ミナペルフォネンからDMが届き、M枝ちんと見にいくことに。
以前にも同じ場所での展示のDMが届いたことがあるんだけど、どうも六本木〜西麻布方面と普段あまり行かない方面だったので億劫で行かないでいた。
場所はle bainというひとりじゃきっと迷子になってたような場所にある。
古い佇まいの家や高級住宅に並んで、真っ白い懐かしいかんじの(構成の)建物(空間)が現れた。
コの字型の空間で、突き当たりの壁からは水が流れ落ちていて、左右の壁にテナントが入っている。
ギャラリーの前は吹き抜けのように空間が空いていて、今回の展示のメインである色んな質のテキスタイルが滝のような長い短冊(…じゃ短いのか?)になって天井からいくつも垂れ下がっていた。
ところどころに円柱形のスツールのようなものもおいてあった。ざらっとしたレトロな手触りが良いかんじ。
やっぱり色の集まりって綺麗ですね。布のサンプリングは刺繍糸売り場を見るときのような気分。
最初にMに聞いていたとおり「これだけー?」っていう広さと展示の量ではあったけど、同じ空間内にある別のギャラリーでとてもミニマムな陶器の作品が置いてあって素敵で満足、またもう1つのテナント「HIGASHIYA」はこれまたモダンな和菓子屋さんでかなり店内を凝視して満足、と3つ揃ってかなり満足出来る場所でした。おすすめ。HIGASHIYAさんの梅味の豆菓子おいしかったです。

<世界で最も美しい本 1991-2005>を見に印刷博物館へ。
ずっと興味はあったけども行く機会がなく、印刷博物館へ行くのはこれが初めて。
凸版印刷(株)の社内にあるのだけど、さすが凸版印刷、キレイだしデカい!
しかも無料なのが嬉しい。
いつものごとく、私は行事にも疎いため"ドイツで毎年3月に開催される「世界で最も美しい本コンクール」"の存在なんてつゆ知らず…。"およそ30カ国から寄せられた700点あまりの美しい本のなかからその年の世界で一番美しい本を選びだす国際コンクール"(ちらしから抜粋)らしいです。
こうして91年〜通して見て行くと、自分がデザインという仕事を始めた時期がいかにデザインが盛り上がっていた時期かが分かるかのようです。
それまでと違って、大幅に紙質を変えてきたり(紙に限られなくなったり)、形が変型だったり、特別なインクを使ってみたり。
日本独特のデザイン(墨文字、漢字・平仮名・縦書き等)はやっぱり他の文化圏から見ると新鮮なのか、意外と(?)日本の本も選ばれていて「えっホント??」とちょっと嬉しくなっちゃいました。
けれど今みても「お!かっこいい」と思える日本の本は、実は日本語のタイトルだっただけでドイツ製でした…がっくり。いや、これ、もしかしたら日本じゃなく中国を意識してるのかも。(和紙についての本で「和紙」っていうタイトルでした)
本は多岐に渡っていて、デザイン書ばかりではなくて研究の報告書なんかも混ざっていてなかなか素敵です。日本じゃ報告書にこんな手間かけないよ…とか手間はかかってなくても、こんな編集・デザイン許されないよ…っていう羨ましいチャレンジ精神に満ちたものがいくつもありました。
結構そういう普段見聞きしない内容っていうのはデザインと組み合わせるとすごく格好良いものになってジャケ買いの衝動にかられるんですが、どの辺まで一般に販売されてるものなんでしょう?
そして実際自分で持っている本(これも調査報告書系)があるのを見て、改めて「調査報告だったんだ?」と分かり、そして更に薄々気が付いてはいたけどもドイツのデザインが多いことに気が付きました。ドイツ開催だからじゃなく、自分がなんとなく好きなデザインがドイツってことです。
またなぜかこんな中では、絵本の類いは見栄えがしないなぁとも思いました。
そもそも絵本はほんの数冊しか受賞作品がありませんでしたが、どれも色が大胆(というか派手…)だったり、絵がバーン!と大きく大胆に…というか派手にというか…レイアウトされたものが目立ちました。"絵本"だからね…。
となると、らしくない絵本を作ってみるのも面白いかも。暇を作って今度ぜひレッツ・チャレンジ。
そう思うと文字と色と紙質だけでかなり広範囲のイメージを作れるものなんですね。
中には辞書まで受賞していて、膨大な種類の本の中から敢えて選ばれたこの辞書…中身はほぼ文字ですよ、色んな種類の本を見続けたからこそなのでしょうね。

例のごとく、実家の父の本棚から引っ張り出して来て読んだ本があって、それは舞台美術家の妹尾河童さんの本だった。河童さんの本は本棚に2册あって1册(河童の手の内幕の内)読んで面白かったのでもう1册も…と手にとったのだ。それが<河童のタクアンかじり歩き>。
沢庵にまつわることを中心に脱線していったりもするわけなのだけど、その中でも興味深かったというか、なんか適当な言葉が思い付かないんだけど(こんな書き方するのは今読んでる本がこんなかんじで私にとってはとても気持ちが良いためなんですが)とにかくポツンと物悲しくなった話が2つあった。
ひとつは土呂久の公害の話で、花森さんの展示を思い出した。まだ公害問題は継続しているし、今後も新しく起こりうると思うから、せめて国内のことくらいもうちょっと知ってても良いんじゃないか?と自分が情けない。私はあまりに知らなさすぎるし、忘れすぎてしまってどうもいけない。
もうひとつは<サクランボ・ユートピア>の記述だった。
「故郷を持たない」という感覚らしいが、東京の都会で生まれ育った若者が今でいうとTOKIOのダッシュ村の生活に憧れを抱くかんじで「田舎の」故郷に憧れ、だったら自分たちで田舎の故郷を作ろう!と作ったのが<サクランボ・ユートピア>だった、というふうだと思う。*間違ってたらごめんなさい。
(問題点はさておき、作ろう!と思い立ち実際行動に起こせたパワーがすごい。陽のエネルギー。)
私の実家であり、生まれ育った場所は片田舎にあるので「故郷を自分たちで作る」という念は抱いたことが一度もなくって気持ちは分からない部分が多いけど、でもこれを読んだときにあることが浮かんだ。
いつか見た外国の短編アニメで、荒れ果てた部屋の中、凄まじい戦争の痕のような人の灰が残り、吹き込んだ風がその灰を飛ばしている。外はもっと絶望的な景色が広がっていて誰ひとり影も見当たらない。1羽の鳥(鳩)だけが生きていてなんとか羽ばたいてある家の中に逃げ込むように入って、確かプロジェクターのようなスイッチを体で押してしまって、壁にユートピアが写し出されて…鳩は一生懸命そこの景色の中に入ろうとして何度も体を壁にぶつけてやがて力尽きてしまう…という物悲しい内容。そのときの気持ちを思い出した。
同じような(?)かんじで、<未来少年コナン>でのかつての大工業都市インダストリアの三角塔の上のほうの部屋にある視聴覚室のような部屋に写し出される公園の映像も思い出した。
そういう発想はいつになっても誰かしら持つものなんだと思う。そしてその時が来たら実際そういう装置を作ってしまいかねないとも思う。
よかれと思ってこうなったんだろうけど、確かにひと1人の力ではここまで覆い尽くせはしないし、この先はもっと「自分は東京のど真ん中に生まれたけどもっと田舎に生まれたかった!故郷はこんなはずじゃない!」って子も出てくるのかも知れない。
とにかく実際にそう思って、理想の故郷を自分たちで作りたい!と思って行動に起こした人たちがいたってことに言い様のないものを感じた。自分で感じることは出来ても能がないので人に伝えられなくて悲しいなぁ。ちなみにその発起人は東由多加という演劇人。詳しくは知らないことが多いのでとりあえず柳美里さんの小説を読めば少しは分かるのかなぁと思う今日この頃。
*と、いうことで画像は実家近くの公園にある柳(の枝)。なんのこっちゃ。
私の一番すきな木は柳の木なのです。とくに新芽の頃の色が綺麗で好き。