
先日行った<レオナルド・ダ・ヴィンチ展>のことを書きます。
この展示、メインはビル・ゲイツ氏が所蔵しているレオナルドの直筆ノート<レスター手稿>の展示がメイン。
日に2〜3時間しか眠らなかったというレオナルドの脳内ってどんなものだったのか?気になって覗きにいきました。
脳みそツルツルのわたしにはきっと理解しがたい内容が多いだろう…と思い、初めて音声ガイドを使いました。…が、コレ、意味ないですね。書いてあることほぼそのまんま。別角度からの情報源ではないようです。これにはがっかり。
でもこの展示、照明がかなり暗めだったのと、きっと土日の混雑を考えたら、目の悪い人には良いのかも。わたしでさえ人と暗さが遮って若干見えにくいところがありました。
展示の序盤は体験型。とても素敵なディレクションだったけど、平日というにも関わらずやや多めの人&子供に耐えられず、壊れてしまっているものや、どうしても人ひとり当たりが留まる時間が長いために自分の見たい部分を見るにはかなり待ち時間が必要でした。人がまばらな(平日の)展示ばかり行ってる私にはちょっと限界。
これだったらせめてタッチパネルのやつは普通にビデオ上映にしちゃったほうのが分かりやすくて、余す所なく見られたかも。
さてさて、肝心のレオナルドの脳内ですが、主に小学校で習った「理科」の授業のようでした。
あ!これ習った!実験した!と記憶が蘇ってきました。土台を作ったのはレオナルド、ということなんですね。
レスター手稿はレオナルドが50才代のときから書きまとめられた天体・地球・水についての観察・実験記のようなもの。今まで人体解剖のイメージが強かったけど、<自然>への興味も底知れないようです。
ほんとに事細かに観察し、それを具体的に生活に応用できるよう考えていたことが素晴らしかった。目指すところはやっぱり純粋なものでした。そしてとても自然に満ちた場所に住んでいたんだなぁって思いました。海や川と滝、山に火山、地震。すべての自然を体験してるみたい。
わたしが興味深かったのはレオナルドが地球を人体のような生命体と捉えていたこと。今では突飛な考えではないことでも、この当時は不思議な考え方だったと思います。そのためレオナルドのこんな考えは広まることなく、人は環境汚染したり、自分中心になっていったりしたのかも?
ひとつ私の心髄をついた言葉がありました。
<何物も、自力で、自分自身の創造の原因となることは有り得ない。また何物も自力で永遠の存在となることは有り得ない>
これは「永久機関の不可能性についての言及」(当展図録より)らしいのですが、永久機関?私にはサッパリ。
ですがこれって、前部は人体や地球などの<生>にもとれるし、後部は<死>に関していえることだと思ったんです。
身近な人が死んでしまった後、色々な考えが頭の中で巡って、そのときひとつの結果として思ったんです。<この人のことが生きてたことを忘れちゃいけない>って。それがその人に<よく生きてきたね>って褒めてあげることになるんじゃないかと。
死んでも生きるって死んでしまった本人には出来ないことです。残されたものにしか出来ないこと。
前日突然亡くなった友だちの友だち、のようなひとのことをおもいました。
友だちの友だちは、友だちじゃない、とよくいうけども、でもなんでしょう?この気持ち。
会話したことないし、彼女はわたしのことを知らないと思うけど、たった何度か彼女の歌声や佇まいを知っただけで、繋がりを感じてしまうものなのです。
遠くの国の自然災害などの被害を思ってもモヤモヤしてくるものなのに。